インタビュー

私らしく人生を歩みたい―。
そうは思うものの、そもそも「私らしさってなんだろう」と疑問が浮かぶ人もいるはず。
「La-Chic」では様々なフィールドで「私らしく」生きる女性=“ラシカりすと”達にインタビューしながら、読者の皆さんと一緒にそのヒントを見つけていけたらと思っています。

今回のラシカりすと

水野カオルさんさん

一般社団法人Ponteとやま

水野カオルさん さん

「生きづらさを抱える」子どもたちが、
自分らしく生きていける世界へ【前編】

今回お話を伺ったのは一般社団法人Ponteとやまの代表理事を務める水野カオルさん。
教員免許取得後、養護学校などで子どもたちの教育やサポートをされてきました。子どもたちと関わる中で、生きづらさを感じる子どもたちや若者のサポートの必要性を感じ、みやの森カフェをオープン。不登校児や社会に馴染めない若者の居場所作りに尽力されています。前編では、どのような人生を歩んできたのかをお話していただきました。

「生きづらさを抱えている」
子どもたちや若者たちも、
自分らしく生きてほしいから

ー今されている活動について教えてください。

なにかしらの生きづらさを感じている子どもたち、若者たち、そしてその家族が自分らしく生きていくためのお手伝いをしています。

具体的には、「みやの森カフェ」を拠点に活動をしていて、その隣では2023年5月に開設された(シェアライフ富山)シェアハウスの1階を借りて子どもたちのフリースタイルスクールを運営したり、夕方からは学習指導なども行っています。

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高校や大学を中退した若者たちや学校に行っていない小中学生みんなでお昼ご飯を作って食べたり、それぞれがやりたいことや好きなことを思う存分にやれるような居場所作りを目指しています。

 

 

目の前のハードルを
何とかクリアし続けた先に
気づいたこと

すべての経験に意味がある

ー現在の活動をするきっかけになったのは何ですか?

私自身、障がいを持つ姉がいる「きょうだい児」なんです。

あまり人を頼ることを知らずに大人になりました。親は在宅だった姉の世話(姉は就学猶予されていました)や生活することに精一杯で、わたしも家族として助けになることが当たり前だと思っていました。

障害児教育に携わろうとは思っていなかったんです。
家族としてで十分だと。

でもその境遇があったから、教員になるための教育実習(障害者施設)で「人よりこれ(障害のある人とかかわること)が得意かもしれない」と思えたんです。それから21年間、公立学校教諭(聾学校・養護学校・小学校)として子どもたちと関わってきました。

実際働いてみて、「学校は子どもを評価する場所なんだな」と改めて感じる出来事があったのと、両親が立て続けに亡くなってしまったのとが重なり、なんだか疲れてしまって教諭をやめることに。

教員をしている頃から、「子どもたちは学校卒業後社会に出る。学校で問題がなくても、社会に出た時に問題が噴き出すことは多い。地域の中で子どもたちをサポートすることができないと意味がないな」と感じていました。

そんなときにちょうど富山大学に発達支援の学生を支援する部署ができて、そこで働かないかと声をかけられたんです。生きづらさを感じる年齢が高い人たちと関わるようになり、「将来を見据えて子どものときになにをすればよいのか…」などいろんなことを改めて学びましたね。

そのタイミングで、現在一緒にみやの森カフェを運営する加藤さんとの出会いがあり、一般社団法人を立ち上げました。

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苦労をしても振り返らない
前だけ向いて歩いていく

-ご両親が立て続けに亡くなって、大変でしたね…。

そうですね。父はALS、母は白血病で闘病の末に亡くなりました。
両親が次々病気になったとき、息子はまだ小学生でした。

さらに障がいを持つ姉がいたので、子育てと仕事と介護で本当に大変でしたが、障害福祉活動をされている宮袋さん(※)や子どもの同級生のお母さんたちに支えられて乗り越えることができたなと思います。

後から後から次々に苦労がやってきて。
振り返ると悲しくなるので、前だけ見て生きてきました。

両親にも「実家に帰ってこい」とか「教師になれ」とか強制されたことは一度もないのです。全部自分で選んだことなので、自分で乗り越えることができたのだと思います。

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―後編へ続く。

(※)宮袋さんのインタビュー記事はこちら

水野カオルさんさん
プロフィール

水野カオルさん さん

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一般社団法人Ponteとやま代表理事